オードリー若林の「ナナメの夕暮れ」から、不登校について考えてみた。
どうも「先生、学校は行かなきゃいけないの??」を運営しているジーコ(@laolaos_koji)です。
先日、お笑い芸人のオードリーの若林さんが出版した「ナナメの夕暮れ」についての記事をみたのでTwitterで不登校のことについて関連させてつぶやきました。
『学校に行く方が正しい』とか『学校に行かない方が正しい』とか、わざわざ正しさを決めてナナメに構えなくて良い。
自分のために誰かを否定する必要はない。自分が楽しく生きればそれでいい。
オードリー若林「もうすぐ、マウンティングがダサい時代が来る」 https://t.co/Ej91mpLlpC #現代ビジネス
— 先生、学校は行かなきゃいけないの?? (@namonakigakkou) 2018年11月19日
今回はこのつぶやきの内容についてもう少し掘り下げていきたいと思います。
ナナメの夕暮れの概要
「ナナメの夕暮れ」は、お笑い芸人のオードリー若林正恭さんが雑誌「ダ・ヴィンチ」で連載していたものに書き下ろしを加えたエッセイです。
また、2015年出された『社会人大学人見知り学部 卒業見込』の続編でもあり、「自分探し」の完結編も言える作品です。
これまで若林さん自身がナナメに構えていたことから社会で生きづらさを感じていたことについて赤裸々に書かれています。そして、自分と社会と向き合い、ナナメに構えることを止めた経緯とその後について若林さんの想いが綴られています。
ナナメに構えるとは?
若い頃の若林さんは、ゴルフに興じるおっさんはクソだと決めつけたり、恥ずかしくてスタバで「グランデ」が頼めなかったそうです。
このように他人を小馬鹿にしてみたり、他人を否定することで自分を肯定しようとする見方をナナメに構えるということです。
そして、そんな生き方をしてきて若林さんが気づいたことは、
世の中をナナメに見ることは、ブーメランとなって自分に返ってくる
他人への否定的な目線は時間差で必ず自分に返ってきて人生の楽しみを奪う
だったようです。
何故なら、ナナメに構えて構えて、自分を肯定するために他人を否定する行為は、価値を下げる行為だからです。
他人の行為の価値を下げて見ても、それは決して自分の行為の価値が上がっているわけではないですよね。
むしろ、他人の行為の価値を下げて見るということを繰り返すと、様々な行為の価値を下げてしまい、いつの間にか自分のやっている行為や自分の好きな事の価値すらも下げてしまうことにもなります。
このようにナナメに構えるということは、不の連鎖を生み出し最終的には自分の価値をも下げてしまいます。
不登校だからってナナメに構えなくたっていい
不登校系のTwitterアカウントで、たまに学校に行く人を小馬鹿にするようなツイートを見ることがあります。(正直に言って、ぼくも昔はそんなツイートをしてしまってました…。すみません。)
しかし、わざわざ不登校を肯定するために、学校に行っている人を否定する必要はないんですよね。
この記事でも書きましたが
https://thisway.fun/2018/11/19/school-no-learn/
大切なことは、学校、家庭、社会の三者の価値を認め合いお互いがカバーし合うことなのだと思います。
そのためにはナナメに構える姿勢は邪魔になります。もっとお互いが尊敬し合い、肯定し合う必要があります。
オードリー若林さんはこう言っています。
何が正しいとか、優れているとか、そういうことじゃなくて、もっと自由に、素直に自分の好きなことに没頭できる人生が面白いんじゃないかって。そんなふうに、世の中の価値観が変わってくれば楽しくなると思うんですよ
学校に行くこと・行かないことが正しいとか、優れているとか、そういうことじゃなくて、もっと自由に、素直に自分の好きなことに没頭できる人生が面白い!!
ナナメはもう、終わりにしよう
そんなナナメに構える姿勢を終わらせる方法として、オードリー若林さんは『肯定ノート』を勧めています。
自分のやっていて楽しいと思えるものをどんどん書いていきます。
自分の好きなことがわかれば、他人の好きなことや価値観も尊重することができます。そうするともっともっと自分を肯定できるようになっていきます。
まずは意識的に自分を肯定するところから少しずつ始めてみましょう。
最後に、オードリー若林さんのこんな言葉を紹介します。
意識が高くて気に食わない世の中だって、面倒に思える他人とのかかわりだって、ひとりひとりの価値観やものの見方がわかれば、面白い。ナナメの自分を全否定はしない。あの頃があったから、今が楽しい。
ナナメに構えた自分を否定する必要はない。
その頃があったからこそ今の自分にいることを肯定して良い。
それでいいのだ。