不登校というものは存在しない。存在するのは不登校という解釈だけである。

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「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。」

これはドイツの哲学者ニーチェの言葉です。

例えば「ウチの子は外で遊んでばかりで、家では1分も勉強しない」という人がいるとします。

しかし、それは『勉強』というものを『机に向かってやるもの』という解釈があるからこそ、「勉強をしない」という『事実と思われるもの』が生まれるわけです。

もし『勉強』を『新しい発見・学び』と解釈するのなら外で遊ぶことも勉強となり、「勉強しない」という事実は生まれませんよね。

つまり、そんな感じで人は全ての物事を解釈よって判断しているということです。

別の良い方をすれば、人の解釈』こそが『事実という幻想』を作り上げています。

このニーチェの言葉を『不登校』というものに当てはめてみると、

『不登校というものは存在しない。存在するのは不登校という解釈だけである。』

となります。

「何を言っているんだ。実際に不登校は沢山いるじゃないか‼」と思われるかもしれませんが、それこそが解釈による事実(幻想)なのです。

『不登校』は『子どもは学校に行くのが当たり前』という日本の常識から生まれる解釈です。

例えば、海外ではホームスクーリング(ホームエデュケーション)という学校に通学せず(時には通学して)家庭を拠点として学習する形式が一般化している国があります。(詳しくは是非調べてみて下さい。参考に1つリンクを張っておきます⇨http://homeschool.ne.jp/hs/

そのような国では『不登校』という解釈はありません。

彼らの解釈は、ただの『家庭を拠点に勉強をしている子』となるわけです。

つまり、それらの国には『不登校という事実は存在しない』わけです。

このように同じように学校行かない子であったとしても解釈によって全く異なる存在になるのです。

本当の意味で不登校を無くすためには??

2018年現在で日本の不登校の人数は13万人いると言われています。

そして、これまでの不登校支援の多くはこの『数字を0』にすることを目指したものばかりでした。

そのため「不登校から抜け出す」「不登校改善」や「不登校を出さないために」などという謳い文句が横行していました。

しかし、結果として不登校になる子の割合は年々高まっているというのが現状です。

この解釈で学校に行かない子どもたちを見ているうちは絶対に不登校が無くなることはありませんよね…。

ぼくは不登校を本当の意味で無くすために数として0を目指すのではなく、『不登校という解釈』を無くす必要があると思っています。

そのためには学校以外の場所で学習できる環境、制度、世間の考え方を変える必要があります。

そして、たぶんそのような社会が実現したのなら、今で言う(旧解釈の)不登校の数は今の何倍にもなっていると思います。

しかし、それを誰も問題と解釈する人はいなくなっている社会となるでしょう。

そのような学校に行かない子を不登校と解釈することに意味をなさない社会こそ我々がこれから目指すべき社会、そして教育の在り方なのではないでしょうか?

教育をゼロから考える

ここ数年のインターネットの発達でオンライン動画で学習ができたりと教育を取り巻く環境は大きく変わりました。

そしてこの変化によってこれまで教育の当たり前が通用しなくなりつつあります。

そんな変化の激しい時代だからこそ、もう一度

学校とは何なのか?

なんのために学ぶのか?

教育とは何なのか?

をゼロから考える必要があるのだと思います。

そんななか、先日、募集が開始されたのがホリエモンの『ゼロ高等学院』です。

ここにもゼロという言葉が入っていますよね。

是非一度この学校がどんな学校なのかを読んでみてください。

このように、近年、N高等学校ができたり、ゼロ高等学院の募集が始まったりと日本の教育の変革が1歩2歩と進んだように思います。

まだまだこの先に日本の教育がどう変化していくのか分かりませんが、

学校に行かない子を不登校と解釈することに意味をなさない社会は確実に近づきつつあります。

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